これから僕が言うことは、馬券を買うなどして競馬に関わっている人、特に競馬経験の少ない初心者に聞いて欲しいことである。

昨日、高校の同級生が亡くなったという知らせを聞いた。原因はまだわかってない。明日通夜があるので行くつもりだ。1,2ヶ月前に偶然彼と会った。その時は挨拶と軽い会話だけで済ませた。あの時もっと話しておけば良かったと後悔している。この同級生の死は、僕が初めて経験する身近な死である。正直どうすればいいのか分からない。心の整理がつかない。今はただ彼の冥福を祈るだけである。
それが競馬とどう関係あるのだろうか?と疑問に思う人もいただろう。では本題に入ろう。知っている方もいるかと思うが、競馬は常に「死」と隣合わせのスポーツである。これは、他の公営競技である、競艇、オートレース、競輪にも言えることである。特に競馬は、馬というもうひとつの命も関わってくる。今まで、馬が死んだのかわからない。キーストン、テンポイント、ライスシャワー、ホクトベガ、サイレンススズカ・・・それだけでなく、人々の記憶には残らない無名の馬もたくさん亡くなっている。人にも同じことが言える。馬に乗る騎手、調教助手などは、時速60キロを超える馬の上にいる。落馬の危険もある。このような人たちは、常に死と隣り合わせであることを十分に認識しているはずである。一見華やかに見える競馬の世界だが、このような「負の側面」もあることも忘れてはならない。これから競馬をやる人はこのことを知った上でやってほしい。
このような事実を知ってか知らずか、競馬場に行くと、よく「死ね」とか「落ちろ」などとヤジを飛ばす人がいる。僕はこのようなヤジを飛ばす人の神経が理解できないし、許せない。そういう人に競馬をやる資格はないと思う。僕自身も、競馬に関して生命を軽視するようになったら、競馬に関わるのを一切やめようと思っている。誤解して欲しくないのは、別にヤジを飛ばすことを否定しているわけではない。騎手を激励する意味でのヤジもあるだろうから、そのようなヤジはあってもよいと思うし、自分のお金がかかっているから、それくらい感情的になるのは仕方ない事だと思う。ただ、最低限の理性だけは保って欲しい。
明日も、来週も、これからもずっと、すべての馬が厩舎を出て、無事に厩舎に帰ってくること、騎手や調教助手の方が無事に次のレース・調教に参加できることをただ切に祈るばかりである。

感情的になってしまい、駄文で申し訳ありません。ただ、競馬に関わる上でこれだけは知って欲しかったのです。